同窓会のお知らせ

今年は,6月7日(土)に開催いたします。会場等の詳細は追って掲載いたしますので,以下のページでご確認ください。

・同窓会のご案内

今田高俊教授 2 生物系の分野を活かし、社会のトータルな記述をめざす

 『存在と時間』にはたいへん影響を受けたのですが、自分の研究を進める上では、自分の強みである生物系の分野を生かして、社会のことを研究したいと考えました。そこで、社会システム論の方向へ行った。特に、タルコット・パーソンズの社会システム論を研究しました。この本は、1951年に出版されています。強いアメリカが豊かな社会を実現して、世界的な経済繁栄を成し遂げ、パックス・アメリカーナというものをもたらした時の社会学的なシステム論の背骨になった理論です。

 彼は、社会の比較的安定した部分としての構造によって社会を記述するとしています。だから、構造の要素として役割や地位などが分析される。そして、その働きを機能として明らかにする。これが構造機能分析です。

 生物学的にいうと、構造は解剖学、機能は生理学。特定の要因を重視するファクター・セオリーに拠らない、社会のトータルな記述をめざした点は、社会を外からみるのに適していると思いました。

 私の修士論文はこれをベースにした研究でした。他に、ベルタランフィなどの理系のシステム科学との接点を保ちつつ、(特に生物学の理論が中心でしたが)研究を進めました。アイディア的には、『からだの知恵』の著作で有名なW.B.キャノンのホメオスタシス(恒常性維持)の原理をもとに社会のメカニズムを考え、ウィーナーのサイバネティクス(ネガティブ・フィードバック制御)も用いました。それは、社会が目的を持つと仮定して、その達成をめざして機能し制御されている、という機能主義的な考え方でした。

 パーソンズは1960年代に影響力がありましたが、70年代にはいってリアリティが欠如しているという批判を受けた。思弁的すぎるし、抽象的で、世の中の現実の作られ方をあまりにも平板な記述にし過ぎていると言われたのです。60年代末から、エスノメソドロジー、現象学的社会学とか、シンボリック・インタラクショニズム(象徴的相互作用論)など、いわゆる意味学派と呼ばれる諸パラダイムが登場して、機能主義を攻撃しました。当時、機能主義に対抗していたのが、マルクス主義(批判社会学)で、二大勢力だったのですが、構造─機能主義がリアリティの欠如ということで突き上げられて沈滞すると、マルクス主義の影響力も縮小していった。リアリティの欠如、ということは、マルクス主義にも当てはまってしまったのです。冷戦構造の終結と共に二大学派の饗宴も終わってしまって、80年代に入って以降は、社会学のパラダイム状況が様変わりしてしまいました。パラダイムの多極化がもたらされました。

 日本でも1970年代半ばから同じ状況があって、機能主義に対して批判があった。ちょうど私が、東工大に来た79年、その頃は、機能主義に基づいて社会計画や社会政策に取り組もうとしていたのですが、批判がいっぱいあって、若い人も機能主義やマルクス主義を見捨てて新しい分野へと進んでいったのです。私は、新しい分野にもそれなりの意味があるのだろうと考え、自分ももう一度勉強し直そうと思い、しばらく理論活動については沈黙しました。もう一皮むけないと社会学者としてもたない、と考えたのです。82年~86年は勉強ばかりして、まともな論文を書かずに過ごしました。

Talcott Parsons, The Social System, 1951.

・今田高俊研究室

VALDES特別フォーラム(学生教職員無料)

東工大・朝日カルチャーセンター・ジョイントコースの以下の講座を,VALDES特別フォーラムとして開講いたします。

・ほんとうの法華経-サンスクリット原典の翻訳から見えてきたこと(5月23日)

VALDESフォーラムとは,社会理工学研究科・価値システム専攻が,東工大の内外の,広い聴衆に向けて,情報を発信する機会です。このたび,朝日カルチャーセンターとの提携講座の一部を,このフォーラムとして開講することになりました。東工大の学生・教職員の皆さんは,IDを提示して無料で参加できます。どなたもふるってご参加ください。

今田高俊教授 1 「他者と共にあること」を考える

今田高俊教授今田高俊の三冊

○ マルティン・ハイデガー『存在と時間』
○ Talcott Parsons, The Social System
○ ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリ『千のプラトー』


 私はもともと理系志望で分子生物学者をめざしていました。大学に入るまで社会科学についての本を読んだことがなかったので、社会がどう組み立てられているのかについては、一切興味がなかったのです。その点、高校時代に主要な社会学の本を読破していた橋爪先生とはまったく違った学生でしたね。

 入学してライフサイエンス(分子生物学)の道を進むはずが、大学紛争のため1年間授業がありませんでした。駒場の友人たちと語り合う中で、理系の学生が初めてマルクス主義に出会った。仲間との議論を通じて、人間のことを先に考えなきゃやばいかな、と考えました。今まで全く無知だったので、そういうことを考えてこなかったのです。そこで出会ったのが、ハイデガーの『存在と時間』です。どちらかといえば時間論より存在論の方が好きですね。この本を理解することが理想でした。実は、今まで4回読んでいるのですが、数年前にゼミで再読して、ようやく理解できました。最初は本当にちんぷんかんぷんだった。日本語で読んでもわからないので、英語で読んでみたこともありますが、そのほうがよく理解できました。

存在と時間 ハイデガーは、近代科学の父である認識優越論のデカルト批判をしている。我思う故に我ありは問題であると言います。斟酌してみるに、我思うその前に我あり、とすべきことを提唱したのだと思います。正しい意味での存在論が欠落しているので、存在論ルネサンスを企図したのではないでしょうか。いかに生きるか、いかに存在するか。この本と出会って、人間のこと、社会のことを考えてみよう、という決意をしたのです。私は、哲学者になるつもりはなく、社会のしくみ、メカニズムに興味がありました。結局3年生の時、文転(理系から文系の専攻への転籍)して社会学の道を選んだのです。多少なりとも社会科学的な知識を学習していったのですが、まず、理系の世界とは人のタイプが違うことに驚きました。社会学科界隈では、高橋徹先生、富永健一先生など、百科辞典みたいな何でもよく知っている先生方が闊歩されていた。理系の人は論理的な思考力は強いけれど、とにかく知識の量が違うし、レトリックでも負けてしまう。授業の度にくやしくて、唯一、論理性だけで張り合っていました。マスターが終わった頃、ようやくコンプレックスから抜けられたように記憶しています。それまでは知識量の落差に本当に打ちのめされていました。

 『存在と時間』を読み進めてわかったことは、ハイデガーのキーワードは「ゾルゲ」だということです。これは英語で言うと「ケアリング」、他者をケアすること、を意味します。介護という意味の他に、他者および他の事物に対して関心を抱き、他者にコミットすること、かかわることを通じて他者と応答的になる、これが人間存在の原点なのだ、ということを言っている。ですから、彼に言わせれば、自由主義、リベラリズムの扱っている人間は存在していると言えないことです。社会学はもともと社会関係が出発にあるため、他者と共にあることがいかなることか、ということを考えることが大切です。この本は社会学の原点として重要な本だと思います。ハイデガーは、第二次世界大戦中ナチスに協力したということで、社会学分野ではあまり研究対象として扱われていないのですが、私が近年研究している社会の組み立てのために必要な「ケアの倫理」のルーツだと考えています。

ハイデガー、桑木務訳 『存在と時間 (上)(中)(下)』(岩波文庫) 1960年、岩波書店、¥735、¥840、¥840。  なお、邦訳には他に細谷貞雄訳のちくま学芸文庫版(上下二分冊)、原佑・渡邊二郎訳の中公クラシック版(上下二分冊)などがある。

・今田高俊研究室

本専攻の今田教授が紫綬褒章を受章

本専攻の今田高俊教授が、社会学研究における活躍をみとめられ、春の褒章において紫綬褒章を受章なさいました。

価値システム専攻教職員一同、心よりお祝い申し上げます。


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