橋本総裁誕生の経緯

情報環境専攻 藤井研究室
97M39459  潘  毅


●連立与党の臨界点
  1995年7月31日、武村正義代表が大蔵省幹部の不祥事の責任をとって蔵相を辞任する意向を
示唆したことで、政局は一気に緊迫の度合いを増した。もともと少数政党にも関わらず主要ポスト
をしめるさきがけに不満であった自民党からは蔵相交代は当然との声がたかまり、その一方で社民
党の党首でもある村山首相は「三党首が内閣に残るのは盟約であったはず」と不満の意向を表明し、
同じく連立与党のもう一方の党首である自民党の河野外相は自分も早く総裁選に専念したい思惑
から黙りを決め込んだ。武村が辞任を示唆した同じ日に、自民党の小渕恵三副総裁と橋本龍太郎通
産相が会談で9月の総裁選は投票の決着が望ましいとの考えで一致し、ここで総裁選は話し合いに
衣よる円満な決着が絶望的になり、河野と橋本の一騎打ちが避けられない情勢になった。8月には
いると当初予定していた内閣改造を巡って、大幅な改造にするのかあるいは小幅な改造にとどめる
べきかで政局がもめにもめた。大幅な改造にすれば、自民党の総裁選に専念したい河野や橋本、党
務に専念したい武村の閣僚離脱が避けられず、連立与党が崩壊しかねない。一方で小幅な改造にと
どめれば内閣改造は当然視されていただけに、政権の威信が失墜しかねず秋に向けて政権の求心力
がとても維持できない。

●河野の思惑
  再選を目指す河野が目に見える形で方針を打ち出してきたのがこの頃である。5日、自民党の
三塚派の首領である三塚博元外相が仙台市内のホテルの記者会見で、「河野洋平総裁が苦労して村
山政権を支え、それが政治安定の路線につながっている。その河野氏を支えるのは当然だ」と河野
続投を支持する方針を言明した。三塚は内閣改造に絡む役員人事で河野から党幹事長就任を要請さ
れており、河野の意向に沿う形で支持の姿勢を明らかにしたものである。河野自信も村山の副総理
兼外相の留任要請を再三再四突っぱね、外相ポストからはずれることに執念を見た。自民党が野党
に転落した際に緊急避難的に総裁に選ばれた河野だが、外相ポストを得て、いよいよ河野政権が現
実のものになりつつある状況で、なりふり構わない姿勢がうかがえはじめた。その裏には、河野再
選を支持する基盤となる勢力が旧宮沢派の一部に限られ、自民党の中堅・若手に影響力のあるYK
Kの一角である加藤紘一政調会長も今のところは模様眺めという厳しい状況がある。そのため、旧
派閥の影響力が低下している状況が分かっていても、第一勢力である三塚派の支持をえるために三
塚の次期幹事長の内定を約束し、さらに自ら外相をはずれることで同じく三塚派の森喜朗現幹事長
に外相ポストを与えるなど、閣僚人事を利用してまでも三塚派の支持を得ようという姿勢がうかが
える。

●橋本の戦略
  もう一方の橋本の方もこの時期、通産相という要職に就いており、通産相をやめたいのは山々
だが、村山の必至な説得や河野の戦略的な留任要請もあり、やめられないという点では河野と同じ
状況である。しかし、支持基盤という点に関しては河野と大きく状況が異なる。派閥の拘束力が弱
まった中で小渕派だけは例外的に結束が未だに強く、派閥の引き締めという点では問題がない。そ
ういう状況で、さらに一歩進めて派閥横断的な連携に試みているところが今までの総裁選と大きく
状況が異なるところである。

●迷走した内閣改造
  第二次村山内閣が8日発足した。河野外相・橋本通産相は結局、留任した。村山首相は最後ま
で3人の信頼関係を強調したが、総裁選に専念したい河野を外務大臣というポストに縛り付けたこ
とは、河野が総裁選に落ちても構わない、もっと極端にいうとこれによって橋本が総裁戦で勝って
も恩が売れるわけで村山のしたたかな計算がうかがえる。村山は自民党の総裁選のごたごたには巻
き込まれたくないし、自分からも関わりたくないという表向きのコメントとは裏腹に、橋本に有利
な閣僚人事により結局は大きく争いに関わる形になった。河野との今までの関係をたたき壊すよう
な村山の方針に当然、河野陣営は色をなした。当初予定していた、自分が閣外に出る代わりに森幹
事長の入閣−三塚幹事長の誕生という構想は大きく崩れ、あわよくば期待していた村山首相からの
禅譲も厳しい状況に追い込まれた。逆に言うと、それだけ小渕派の巻き返しが凄まじかった訳で、
小渕派が有利の印象がこの一点でもうかがえる。しかも、外相辞任に執念を燃やして村山首相との
関係を悪化させた河野とは対照的に、橋本通産相は自分の進退についてはこの間一言もふれずに、
ただただ村山内閣を支えるという神妙な態度にででいる。

●派閥横断グループの誕生
  内閣改造で完全に小渕派のペースで押し切られた河野だが、かろうじて森幹事長の建設相入閣
と三塚幹事長の誕生を達成でき、ここに三塚派の全面支持が決定的となった。派閥主体の総裁選を
もくろむ河野としては、最大派閥の三塚派の支持を得られたことは大成功と言えよう。しかし、15
日に亀井前建設相(三塚派)・白川勝彦(宮沢派)・野中広務前自治相(小渕派)・与謝野馨前文相(渡辺
派)ら自民党の中堅議員が9月の総裁戦に向けて旧派閥横断の新しいグループ「新しい総裁を考える
会」を旗揚げした。橋本総裁誕生を念頭に置いたもので参加人数は衆参両院で11人であった。河野
が総裁選で再選戦略の足場に考えていた宮沢派・三塚派からも参加者が出たことから総裁選の動向
に大きな影響を与えるのは必至で、派閥の締め付けが弱まっていることを裏付けるとともに、橋本
支持の方針である小渕派が派閥単位で単独で戦っても勝ち目がないため、派閥の枠組みを壊して派
閥を横断した勢力の結集をしようという戦略がうかがえる。自民党所属の衆参両院議員は合計310
人でその内訳は以下の通りである。
    旧三塚派:72人
    旧宮沢派:67人
    旧小渕派:66人
    旧渡辺派:58人
    旧河本派:23人
    無派閥 :24人
  河野の戦略としては、2年前の前回総裁選の枠組みに沿って旧三塚派・旧河本派・旧宮沢派と
の三派連合を目指すものである。この場合、足並みが完全にそろえば162人となり、それに対し
て旧小渕派と旧渡辺派が橋本支持に回っても124人と劣勢を免れない。そこで、旧三塚・宮沢派
を巻き込んだ派閥横断の戦略となるわけだが、その中でもカギを握るのが中堅・若手に影響力のあ
るYKKトリオの動向である。小泉純一郎元郵政相(三塚派)は派閥の方針に従って河野支持で動い
ているが、加藤紘一政調会長(宮沢派)と山崎拓国会対策委員長(渡辺派)は9月まで旗色を鮮明にし
ない方針である。ただ、両氏直系の議員の大半は橋本支持に動いている。

●出馬表明
  21日になると、河野・橋本両氏が相次いで出馬表明を行い、事実上、自民党総裁選がスター
トした。橋本陣営が「河野執行部では野党・新進党には勝てない。」と訴えているのに対して、河野
陣営は「橋本総裁だと社会・新党さきがけ両党が政権を離れかねない。」と主張した。しかし、先の
参院選の不振も手伝って今のところ橋本陣営の主張が説得力がある。国会議員とは別の党員投票の
約150票の行方も橋本の方が有利で、河野陣営は厳しい戦いを強いられることが予想された。
  さらに、22日には橋本を支持する旧派閥横断の中堅・若手議員のグループ「橋本龍太郎総裁を
実現する会」が、52人の衆参国会議員を集めて正式に旗揚げし、しかも河野が支持基盤と期待して
いる旧宮沢・三塚・河本派からも計24人参加した。旧渡辺派のリーダーの渡辺美智雄元副総理・
外相も同日、橋本支持を事実上表明し、渡辺派でYKKの一角の山崎国会対策委員長も「渡辺先生
が右といえば右、左といえば左になると思う」と渡辺に追従する発言をしたことから、この段階で
橋本優位が決定的になった。さらに、YKKの残る一角の加藤紘一政調会長も25日には橋本支持
に回ることが確実となり、河野の厳しい状況はますます強まった。

●河野の出馬辞退
  28日、河野は自民党本部で立候補を断念する考えを表明した。この段階で橋本の次期総裁が
確実となったわけだが、この状況にむしろ当惑したのは橋本陣営の方であった。公選で正式に選ば
れたというイメージを与えたかっただけに、突然に河野の立候補辞退には批判の声も挙がった。当
の橋本も、記者の質問に対して「急にテレビを見てびっくりしたという以外に言葉がない。挑戦者
として、党員や国民の前でさわやかに議論を戦わせることが本当に大事だと思っていた」と戸惑い
とともに不満もにじませた。各派閥の対応は、まず河野支持だった三塚派は、三塚が「事態が新し
くなり、いろいろ考えがあるが、わたしは積極的に対応するのではなく静観したい」と述べ、宮沢
派は、宮沢が「総裁選がこれ以上激化すれば自民党が国民の信を失うと判断し、辞退を決心された
ことは勇気ある決断だ」と述べた。一方、橋本支持だった渡辺派では、渡辺が「河野さんはやっぱり
党員のことなど微塵も考えず、自分のことだけで急きょやめたとしか思えない。自分勝手であきれ
てものもいえない」と厳しく批判した。

●新しい候補探し
  新しい候補は誰かいないのか、という動きの中で自民党総裁選に森喜朗建設相を擁立動きが
30日旧三塚派を中心に強まってきた。森が出馬しても橋本優位が動くことはないが、自民党内に
は公選を実施して党再生を印象づけるべきだという声が強まっており、他の旧派閥の中にも森の出
馬を歓迎する空気が広まっている。当の森も「可能性は排除しない」と検討する考えを表明した。さ
らに、森の総裁選出馬により三塚幹事長が絶望的な状況で、一定の発言力を確保したいという思惑
がうかがえる。その一方で、3日には小泉純一郎元郵政相が記者会見で森氏が出馬しない場合には
自らが立候補する準備のあることを表明した。5日には、森が出馬環境が整わないとの理由で立候
補を辞退し、ここに小泉が新たな挑戦者として登場した。推薦人集めは、小泉の主張する郵政三事
業の民営化がネックとなり困難を極めたが、告知日当日には何とか規定人数を集めた。

●橋本総裁の誕生
  9月22日、自民党の総裁選が行われ、同日の開票の結果、橋本新総裁が誕生した。
<選挙結果>
       議員   党員   合計
  橋本   239    65    304
  小泉    72    15 87



参考文献:1995年朝日新聞縮刷版



橋本総裁誕生の経緯

情報環境専攻 藤井研究室
97M39459  潘  毅
橋本龍太郎の経歴

1937年7月生まれ。慶応大学学部政治学科卒業後、呉羽紡績でのサラリーマン生活を経て、1963
年に父・龍伍氏(元厚生相)の後を続いて総選挙に出馬、25歳で衆院最年少議員として初当選。(今
まで当選回数12回)1978年、41歳で太平内閣の厚生大臣として初入閣。「親子二代の厚相」とし
てマスコミにも取り上げられた。その後、党行財政調査会長(1984年)、運輸大臣(1986年)、党幹
事長(1989年)大蔵大臣を歴任。自民党が下野した1993年に党政調会長に就任。1994年村山連立
の下で通産大臣として再入閣。1995年9月に自民党総裁に選出され、内閣では副総理も兼任。1996
年1月、内閣総理大臣に就任。



橋本総裁誕生のプロセス
   
1995.8.1  ・橋本龍太郎通産相、小渕恵三副総裁との会談で次期総裁選は投票で決着との
認識で一致。
・武村蔵相、辞任を示唆。
8.5 ・三塚氏、河野(宮沢派)続投の支持を表明。(三塚幹事長のポストを打診)
8.8 ・河野総裁、外相留任を受け入れる。
8. 9 ・第二次村山内閣、発足。
         ・河野外相・橋本通算相・武村蔵相、留任。
         ・亀井静香運輸相(三塚派)・与謝野馨文相(渡辺派)・野中広務自治相(小渕派)
          留任せず。
       ・自民党総裁選、橋本氏が出馬表明。
8.15 ・亀井静香前運輸相、白川勝彦(宮沢派)代議士、野中広務前自治相、与謝野馨前
文相、高村正彦前経企長官ら自民党中堅議員旧派横断に新たなグループ「新しい
総裁を考える会」を旗揚げした。河野総裁が再選戦略の足場としている旧宮沢、
三塚派も参加している。橋本側は基盤とする旧派閥(小渕派)の枠組にこだわらず、
中堅、若手議員を中心に支持を広げる構え。
   8.21 ・橋本・河野両氏、自民党総裁選に立候補を表明。
         橋本:「将来、自民首班を」
         河野:「道半ば、職責担う」
8.23 ・橋本を支持する旧派閥横断の中堅・若手グループ「橋本龍太郎総裁を実現する
会」52人で旗揚げ。
   8.25 ・加藤紘一政調会長(宮沢派)、橋本支持を固める。                   
         河野:旧三塚派(72人)・旧宮沢派(69人)
         橋本:旧小渕派(66人)・旧渡辺派(57人)・旧河本派(23人)
8.28 ・河野氏、自民党総裁選出馬断念。党内で、活発な議論をした方がいいという批
判が出て、次の立候補を望む声が出た。
 8.30 ・三塚派会合、森喜朗の擁立論が強まった。
 9.1 ・YKKの加藤、山崎氏が橋本支持を正式に表明。
9.3 ・次期幹事長に加藤、政調会長に山崎起用が有力。
  ・小泉氏、森さんが出馬しなければ、出馬すると言明。
9.5  ・森氏「出馬環境整わず」と出馬に難色。
9.6  ・小泉氏が出馬表明した。が、三塚派がグループとしての推薦人集めは控えた。
    ・郵政三事業民営化
9.7   ・橋本陣営:選対本部が発足。衆参両院109人、代理65人が出席。
 9.10  ・自民党総裁選告示:小泉氏推薦人30人のめどをつけた。
     ・小泉・橋本両氏の一騎打ちに
9.15  ・渡辺美智雄が死去。
9.22 ・橋本総裁(17代)が圧勝で選出された。

選挙結果    議員    党員   合計
  橋本      239     65    304
  小泉      72      15    87

選ばれた理由
・ 新進党が参議院選で躍進した背景で、政治不信、政党不信、河野体制に対する不満が出た。自  
民党にとっては新しい顔が必要となる。
 (参議院改選後:
 自民 46 新進 40 社会 16
   選挙区  自民 31 新進 22 社会 7
   比例代表 自民 15 新進 18 社会 9
 自民党は比例代表で二位となった。)
・ 河野戦略の失敗:
1) 橋本の「派閥横断」の戦略に対して河野の戦略は旧派閥に頼るだけである。
2) 内閣改造に手をつけ、入閣が果たせた一部の議員を味方には付けたものの、閣外に追い出さ
れた議員や今回入閣できなかった入閣待望組の反発を招いてしまい、結果的に予想外の恨み
を招いてしまった。

参考文献:1995年朝日新聞縮刷版



党首選び